地方――中央集権のなかの自治
タイの地方には、2つの行政が重なって存在します。ひとつは内務省が任命した県知事・郡長のライン(官治)、もうひとつは住民が選ぶ地方自治体(自治)です。予算も権限も、大部分は前者にあります。「地方分権」は1997年憲法以来の課題であり続けていますが、現実には中央集権が強固に残っています。
地方には中央の出先(県知事・郡長)と公選の自治体が二重に存在する。予算と権限の多くは前者にある。
地方自治体は約7,850団体(PAO76、テーサバーン約2,470、タンボン自治体約5,300、特別2)。歳入の6割以上が中央からの移転。
バンコク都だけが知事を直接選挙で選ぶ。2026年6月28日の選挙でチャッチャート知事が144万票・得票率65.6%で再選された。
二重構造――同じ県に、2人の「知事」がいる
タイの地方行政を理解する鍵は、「官治」と「自治」の二重構造です。県知事(プーワー・ラーチャカーン)は内務省が任命する官僚です。一方で、同じ県には県自治体(องค์การบริหารส่วนจังหวัด 通称オーボージョー/PAO)があり、こちらの首長は住民が選挙で選びます。
同じ土地に、2つの行政が重なっている。外国人が混乱しやすい最大のポイント。予算も権限も、多くは左側(官治)にある。
日本語ではどちらも「知事」と訳されることがあり、混乱の元になります。実務では、許認可・治安・災害・土地の登記は任命された県知事のライン、地域の道路・学校の一部・観光振興・福祉サービスは公選のPAOのライン、とざっくり分けて考えると当たります。
地方のお金――6割以上が中央からくる
地方分権の進み具合は、財源で見るのがいちばん正確です。1999年に制定された地方分権推進法は、「地方の歳入を国全体の歳入の35%まで引き上げる」という目標を掲げました。しかし四半世紀たった現在も、実際には3割前後で頭打ちになっています。
地方自治体の歳入構成(概数)。自主財源の比率は小さい。
| 用途 | 税率(評価額に対する上限) | 実務上のポイント |
|---|---|---|
| 農地 | 0.15%まで(当面0.01〜0.1%) | 個人の農地は当面免税枠が大きい |
| 住宅 | 0.3%まで(当面0.02〜0.1%) | 主たる住居は5,000万バーツまで免税など優遇 |
| 商業・工業その他 | 1.2%まで(当面0.3〜0.7%) | オフィス・店舗・工場はここ |
| 空地・未利用地 | 1.2%〜(3年ごとに加算、最大3%) | 遊休地を持ち続けると重くなる |
土地・建物税(ภาษีที่ดินและสิ่งปลูกสร้าง、2020年施行)。それまでの家屋税・地方開発税を統合したもの。
バンコク都――例外中の例外
バンコク都(กรุงเทพมหานคร クルンテープ・マハーナコーン、BMA)は、県であると同時に地方自治体でもある特別な存在です。1975年のバンコク都行政法により、知事と都議会議員を住民が直接選挙で選びます。77の県のうち、知事が公選なのはここだけです。
2026年6月28日に行われた都知事選挙では、無所属の現職チャッチャート・シッティパン氏が144万4,914票(得票率65.6%)を獲得して再選されました。これは2022年に自身が記録した138万票を上回るタイ史上最多得票です(投票率は49.7%)。同氏は元運輸大臣で、「毛細血管のような小さな改善(เส้นเลือดฝอย)」を掲げ、歩道の補修、公園の増設、ゴミ収集、洪水対策といった生活に密着した施策を積み上げてきました。
なぜ地方分権は進まないのか
- 内務省の抵抗。県知事・郡長のポストは内務省の人事の根幹であり、公選化はこの権力構造を解体することを意味する。
- 安全保障の論理。深南部3県の問題や国境管理を理由に、「中央のコントロールが必要だ」という説明がなされる。
- 分権が「タクシン派の地方支配」を強めるという警戒。2000年代以降、地方分権の議論は党派的な色を帯びるようになった。
それでも変化はあります。2020年12月以降、長く停止されていた地方選挙が全国で再開され、PAO・テーサバーン・タンボン自治体の首長と議員が順次選び直されました。2025年から2026年にかけてのPAO選挙では、全国政党が組織的に候補を立てるようになり、地方選挙が国政の前哨戦として扱われるようになっています。
実務――事業と地方自治体
会社の登記や税務は国の役所ですが、実際に物理的な事業所を持つと、必ず地方自治体と関わります。見落としやすい手続きを整理しておきます。
まとめ
- 地方には中央の出先(県知事・郡長)と公選の自治体が二重に存在する。予算と権限の多くは前者にある。
- 地方自治体は約7,850。歳入の6割以上が中央からの移転で、分権法の目標(歳入シェア35%)は未達のまま。
- 自主財源の中心は土地・建物税(2020年施行)と看板税。用途と言語で税率が変わる。
- バンコク都だけが知事を公選。2026年6月、チャッチャート知事が144万票・65.6%で再選。
- 都知事には警察・鉄道・上水道の権限がない。権限と責任のずれが都市問題の解決を難しくしている。
章末チェック(5問)
1. 県知事とPAO知事の違いとして正しいものは。
- どちらも公選
- 県知事は内務省が任命する官僚、PAO知事は住民が選挙で選ぶ県自治体の首長 ← 正解
- 県知事は公選、PAO知事は任命
- どちらも内務省が任命
同じ県に「任命の知事」と「公選のPAO知事」が並んで存在します。
2. 地方自治体の歳入のうち、自主財源はおよそ何割か。
- 約1〜2割 ← 正解
- 約3割
- 約5割
- 約7割
歳入の6割以上は中央からの移転。分権法の目標(35%)は未達です。
3. 土地・建物税で最も税率が高くなるのはどの用途か。
- 農地
- 住宅
- 商業・工業
- 空地・未利用地 ← 正解
空地・未利用地は3年ごとに加算され最大3%。遊休地を持ち続けると重くなります。
4. 看板税の申告期限はいつか。
- 毎年1月まで
- 毎年3月まで ← 正解
- 毎年4月まで
- 毎年12月まで
税額は看板の面積と、タイ語・外国語の使われ方で変わります。
5. バンコク都知事の権限が及ばない分野はどれか。
- ゴミ収集
- 公園の整備
- 警察(交通取締り) ← 正解
- 公立学校
警察・高速道路・鉄道(BTS以外の多く)・上水道は国や公社の所管です。