タイ政治経済ラボ / 第5章 行政――首相・内閣・20の省庁
第5章約35分6節

行政――首相・内閣・20の省庁

――決めているのは誰か、動かしているのは誰か

法律をつくるのは国会ですが、あなたの許認可を出すのも、税を取るのも、工場の検査に来るのも行政です。そして行政には、選挙で入れ替わる層(大臣)と入れ替わらない層(官僚)があります。この2層の関係を理解することが、タイでの実務でもっとも役に立つ知識のひとつです。

この章の要点
1

首相は下院の過半数で指名される。2024年5月以降、上院は指名に参加しない。閣僚は35名以内。

2

2026年3月、総選挙を経てアヌティン首相が再任され、タイ誇り党とタイ貢献党を軸とする16党連立の第2次内閣が発足した。

3

実務で効くのは大臣ではなく、次官・局長・担当官のライン。省庁の縦割りと、内務省による地方統制が行政の骨格。

5-1

首相はどう決まるか

2017年憲法のもとでは、各政党は総選挙の前に「首相候補」を最大3名まで届け出ます。選挙後、下院はこのリストのなかから首相を指名するのが原則です(リスト外から選ぶには両院の3分の2の同意という高いハードルがあります)。

2019年から2024年5月までは、軍政が任命した上院250名も首相指名に投票できました。このため2019年にはプラユット氏が、2023年には第一党の前進党の候補が上院の反対で指名を得られない、という事態が起きました。この移行措置は2024年5月に失効し、現在は下院の過半数(251)だけで首相が決まります。

1
総選挙
各政党は選挙前に「首相候補」を最大3名まで届け出る
2
下院の招集
選挙結果の公示から15日以内に開会
3
首相の指名
下院議員の過半数(251)で指名。候補者リストからの選出が原則
4
国王の任命
下院議長が奏上し、国王が任命する
5
組閣・宣誓
閣僚は35名以内。国王への宣誓を経て正式に発足
6
施政方針演説
発足から15日以内に国会で行う。ここから政策が動き出す

首相が決まるまで(2024年5月以降の手続き)

2001
タクシン(TRT)
タイ史上初めて任期を全うした民選首相
2006
クーデター → スラユット
軍政の暫定首相
2008
サマック/ソムチャイ
いずれも憲法裁判所の判断で失職
2008
アピシット(民主党)
議会内の多数派工作で成立
2011
インラック(PT)
タクシンの妹。2014年に失職
2014
プラユット(軍政→民選)
NCPO議長。2019年から民選首相として続投
2023
セーター(PT)
2024年8月、閣僚任命をめぐり失職
2024
ペートンターン(PT)
2025年8月、倫理違反で失職
2025
アヌティン(BJT)
9月就任、12月解散。2026年3月に再任
5-2

いまの政権――第2次アヌティン内閣

2025年、ペートンターン首相が憲法裁判所の判断により失職し、同年9月7日、タイ誇り党(ภูมิใจไทย プームジャイタイ)党首のアヌティン・チャーンウィーラクーンが首相に就任しました。アヌティン氏は2025年12月12日に下院を解散し、2026年2月8日の総選挙で同党は192議席と大勝します。

3月19日の下院での指名投票でアヌティン氏が再任され、3月30日、国王の承認を得て首相を含む35名の第2次アヌティン内閣が発足しました。閣僚の内訳はタイ誇り党27名、タイ貢献党(เพื่อไทย プアタイ)8名で、16党による連立という枠組みです。4月上旬の施政方針演説では、年平均3%以上の成長、生活費負担の軽減、中小企業支援を柱に掲げました。

35
第2次アヌティン内閣の閣僚数(首相含む)
16
連立に参加する政党の数
7
副首相の人数
3%以上
政権が掲げる年平均成長率の目標
⚠️まちがえやすい|「保守 vs タクシン派」の図式は、もう単純ではない
アヌティン氏のタイ誇り党は伝統的に保守側とされ、タイ貢献党はタクシン派の流れをくむ政党です。その2党が連立を組んでいるのが2026年の姿です。タイの連立は、イデオロギーよりも「誰が何のポストを取るか」で決まることが多い――これは批判ではなく、事実として押さえておくべき特徴です(第9章)。
5-3

20の省――どこに何を頼むのか

タイの中央省庁は20です。日本の1府12省庁より多く、担当が細かく分かれています。外国企業として関わりが深いのは、商務省・工業省・労働省・財務省(歳入局)・内務省・BOI(首相府直属)の6つです。

タイ語実務での関わり
首相府สำนักนายกรัฐมนตรี内閣官房+広報+予算局・NESDCなどを傘下に置く
国防省กลาโหม3軍と国防関連。大臣は文民のことも軍人のこともある
財務省การคลัง予算執行・国債・歳入局・関税局・物品税局・国有企業
外務省การต่างประเทศ外交。ビザの発給方針もここが握る
観光・スポーツ省การท่องเที่ยวและกีฬาTATを所管。観光は最大の外貨獲得源のひとつ
社会開発・人間の安全保障省การพัฒนาสังคมฯ福祉・高齢者・障害者・児童
高等教育・科学研究イノベーション省การอุดมศึกษาฯ2019年新設。大学と研究機関
農業・協同組合省เกษตรและสหกรณ์コメ・ゴム・灌漑・農協。政治的にきわめて重い
運輸省คมนาคม鉄道・道路・空港・港湾。巨大予算と利権の集中点
デジタル経済社会省ดิจิทัลเพื่อเศรษฐกิจฯ通信・データ保護法(PDPA)・サイバー
天然資源・環境省ทรัพยากรธรรมชาติฯ環境影響評価(EIA)・森林・水
エネルギー省พลังงาน電力料金(Ft)・燃料補助・PTT。生活費政策の中心
商務省พาณิชย์会社登記(DBD)・外国人事業法・知的財産・物価
内務省มหาดไทย県知事と郡長を握る最大の役所。土地・住民登録・地方自治
法務省ยุติธรรม刑務所・DSI(特別捜査局)・麻薬取締
労働省แรงงาน労働許可・社会保険・最低賃金・技能開発
文化省วัฒนธรรม文化財・映画検閲・宗教関連の一部
教育省ศึกษาธิการ基礎教育(小中高)。教員数は公務員最大集団
公衆衛生省สาธารณสุข国民皆保険(30バーツ制度)・FDA(食品医薬品)
工業省อุตสาหกรรม工場ライセンス・工業団地公社(IEAT)・産業規格(TIS)
🧰実務メモ|困ったときに行く先の早見表
会社をつくる/株主を変える → 商務省 事業開発局(DBD)。外資規制の許可 → 商務省(外国人事業許可)またはBOI。工場を建てる・操業許可 → 工業省 工場局(またはIEATの工業団地)。環境影響評価(EIA)→ 天然資源環境省 ONEP。労働許可・社会保険 → 労働省(雇用局・社会保険事務所)。ビザ・在留 → 入国管理局(警察庁の下)。税金 → 財務省 歳入局(法人税・VAT)、関税局(輸入)。食品・医薬品・化粧品の登録 → 公衆衛生省 FDA(อย.)。この対応表を頭に入れておくだけで、「どこに聞けばいいかわからない」時間を大幅に減らせます。
5-4

官僚制――大臣より、次官と局長

タイの公務員は約200万人(教員と警察官が最大の集団)。省のトップは大臣(ラッタモントリー)ですが、大臣の平均在任期間は1〜2年です。一方、次官(パラット)と局長(アティボディ)は職業官僚で、政権が代わっても残ります。

大臣(ラッタモントリー)
政治任用。政権交代で代わる。平均在任は1〜2年
次官(パラット)
ปลัดกระทรวง 省の事務方トップ。政権が代わっても残る
局長(アティボディ)
อธิบดี 実質的な決裁権者。許認可の運用はここで決まる
課長・部長級
実務の設計と裁量。担当官の判断がここで固まる
担当官(ジャオナーティー)
เจ้าหน้าที่ 窓口。書類を受けるか返すかを決める最前線

「誰に説明するか」を間違えない。公務員は約200万人(教員と警察官が最大集団)。

実務でしばしば起こる失敗は、「大臣に会えたから話が進む」と考えてしまうことです。大臣は方向を示せますが、許認可の可否を実際に決めるのは局長以下のラインであり、そこで前例と省令に合致していなければ、話は前に進みません。逆にいえば、書類が制度に正しく合っていれば、政権が代わっても案件は進みます。

次官ปลัดกระทรวงパラット
事務方の最高位。省内人事の要。
局長อธิบดีアティボディ
許認可の最終決裁者であることが多い。
次長・副局長รองอธิบดีロン・アティボディ
実際の窓口の責任者。
委員会คณะกรรมการカナ・カマカーン
タイの行政は「委員会」で決めることが多い。BOI、EEC政策委員会など、重要案件は委員会が決定する。
「上に人がいる」มีที่พึ่งミー・ティー・パルック
特定の有力者の後ろ盾を指す言い回し。この語が出てきたら、案件の背景に政治的な要素があると考えてよい。
📖コラム|「委員会国家」としてのタイ
タイ行政の大きな特徴は、重要な決定が省ではなく閣僚と有識者からなる委員会で行われることです。投資恩典はBOI(首相が委員長)、EECの開発計画はEEC政策委員会(首相が委員長)、金融政策はBOTの金融政策委員会、最低賃金は労使政3者からなる賃金委員会。つまりどの委員会がいつ開かれるかを追うことが、政策予測の実務そのものになります。各委員会は開催予定と決議を公表しているので、定点観測が可能です。
5-5

予算――10月に始まる1年

タイの会計年度は10月1日から翌年9月30日です(仏暦の年で呼ぶ)。たとえば「2569年度予算」は2025年10月〜2026年9月を指します。予算規模は近年3.7兆〜3.8兆バーツ前後で、GDPのおよそ2割にあたります(第14章)。

1
前年10〜12月 方針の決定
内閣が予算方針を決め、予算局(สำนักงบประมาณ)が枠を配る
2
1〜3月 各省の要求
各省が事業を積み上げて要求。20年国家戦略との整合が求められる
3
4〜5月 予算局の査定
枠内に収める作業。ここで多くの事業が削られる
4
5〜6月 閣議決定
予算法案として確定し、国会へ
5
6〜8月 国会審議
下院で3読会。105日以内に議決しないと自動成立
6
9月 上院・裁可
上院が審査し、国王の裁可を経て官報に掲載
7
10月1日 新年度開始
会計年度は10月〜翌9月。政局が長引くと執行が遅れる

予算のカレンダー(会計年度=10月〜翌9月)

実務上の注意は、政局が予算の執行を止めるという点です。解散・総選挙・組閣が長引くと予算成立が数か月遅れ、公共事業の発注や補助金の支給がずれ込みます。建設・インフラ関連のビジネスでは、この遅れが売上計画に直結します。

🧰実務メモ|政局カレンダーを、事業計画に組み込む
① 予算成立の見込み(毎年6〜9月)、② 内閣改造・解散の可能性、③ 大型の入札スケジュール、④ 憲法裁判所・NACCの重要案件の審理日程。この4つを四半期ごとに更新しておくと、「なぜか決裁が止まっている」という事態の8割は事前に説明がつきます。情報源は官報、内閣事務局の閣議結果(毎週火曜)、そして現地紙(バンコクポスト、ネーション、タイ・ラット)です。
5-6

国有企業――もうひとつの行政

忘れてはならないのが国有企業(รัฐวิสาหกิจ ラットウィサーハキット)です。石油・ガスのPTT、電力のEGAT、空港のAOT、鉄道のSRT、郵便、水道、そして銀行(クルンタイ銀行、政府貯蓄銀行)など、50社前後がタイ経済の基幹部分を占めます。

国有企業は財務省が株式を保有し、所管省庁が監督します。トップ人事が政治的に決まるため、政権交代のたびに経営陣が動くことがあります。エネルギー価格、電力料金(Ft)、空港使用料など、生活と企業コストに直結する価格を決めているのもこの領域です。

まとめ

  • 首相は下院の過半数で指名(2024年5月以降、上院は不参加)。閣僚は35名以内。
  • 2026年3月30日、第2次アヌティン内閣が発足。タイ誇り党27名+タイ貢献党8名、16党連立。
  • 省庁は20。実務で関わるのは商務省・工業省・労働省・歳入局・内務省・BOI。
  • 許認可を実際に決めるのは大臣ではなく次官・局長・担当官のライン。重要案件は「委員会」で決まる。
  • 会計年度は10月〜翌9月。政局の遅れは予算執行の遅れとして経済に波及する。
章末

章末チェック(5問)

1. 首相の指名に必要な下院の票数は。

  • 201票
  • 251票(下院の過半数) ← 正解
  • 351票
  • 両院合わせて376票

2024年5月に上院の移行措置が終わり、現在は下院の過半数のみで決まります。

2. 第2次アヌティン内閣の閣僚数と連立政党数の組み合わせは。

  • 35名、16党 ← 正解
  • 30名、8党
  • 35名、2党
  • 20名、16党

内訳はタイ誇り党27名、タイ貢献党8名です。

3. タイの中央省庁の数は。

  • 12
  • 15
  • 20 ← 正解
  • 24

首相府を含めて20省。日本の1府12省庁より細かく分かれています。

4. 許認可の実務で、大臣より重要なポストの組み合わせは。

  • 次官(パラット)と局長(アティボディ) ← 正解
  • 副大臣と政務官
  • 知事と郡長
  • 国会議員と委員長

許認可の可否を実際に決めるのは局長以下のラインです。

5. タイの会計年度はいつからいつまでか。

  • 1月1日〜12月31日
  • 4月1日〜翌年3月31日
  • 10月1日〜翌年9月30日 ← 正解
  • 7月1日〜翌年6月30日

「2569年度予算」は2025年10月〜2026年9月を指します。