タイ政治経済ラボ / 第4章 国会――500人と200人が決めていること
第4章約35分6節

国会――500人と200人が決めていること

――選挙制度・立法過程・そして議会の実力

タイの国会は下院500・上院200の二院制です。しかし「二院制」という言葉から日本の国会を連想すると読み違えます。上院は政党に属することを禁じられ、20の職業グループの相互選挙で選ばれます。下院の選挙制度は選挙のたびに変わり、その変更自体が政治的な駆け引きの対象になってきました。

この章の要点
1

下院500議席は小選挙区400+比例代表100の並立制(1人2票)。阻止条項がないため小政党も議席を得やすい。

2

上院200議席は20の職業グループの3段階の相互選挙で選出。政党所属は禁止。独立機関の人事承認と憲法改正で強い影響力をもつ。

3

法律は官報に掲載されて初めて効力をもつ。ビジネスに効く規制の多くは、法律ではなく省令・告示で決まる。

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二院制の全体像

国会はラッタサパー(รัฐสภา)と呼ばれ、下院(สภาผู้แทนราษฎร サパー・プーテーンラーサドーン、人民代表院)と上院(วุฒิสภา ウッティサパー、元老院)からなります。議事堂は2019年に完成したサッパーヤーサパーサターン(チャオプラヤー川沿い)です。

下院(サパー・プーテーンラーサドーン)
500議席・任期4年
・小選挙区 400(1人1区・単純多数)
・比例代表 100(全国1区・政党名で投票)
・首相を指名する/不信任案を出せる
・予算法案は下院から
上院(ウッティサパー)
200議席・任期5年
・20の職業グループの相互選挙で選出
・政党に所属してはならない
・法案を審査(否決できず、差し戻し)
・独立機関の人事を承認する
有権者 約5,290万人(18歳以上)/ 投票は義務ではないが、正当な理由なく棄権すると一部の権利が制限される

有権者は約5,290万人(18歳以上)。投票は義務ではないが、正当な理由なく棄権すると一部の権利が制限される。2019〜2024年は移行措置として、軍政が任命した上院250名が首相指名にも投票できた。

⚠️まちがえやすい|上院を「参議院」と訳すと誤解する
日本の参議院議員は政党に所属し、選挙で選ばれ、法案を否決できます。タイの上院議員は政党に所属できず、一般有権者は投票できず、法案を否決できません(差し戻すだけ)。一方で、憲法改正には上院の3分の1以上の賛成が必須であり、憲法裁判所やNACCの委員の人事を承認する権限を持ちます。つまり、日常の立法では弱く、体制の根幹に関わる場面で強い――これがタイの上院の性格です。
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下院――1人2票の並立制

下院は500議席、任期4年。ただし任期を全うすることはまれで、解散か政変で任期途中に選挙になるのが通例です。2026年2月の総選挙も、2025年12月12日の解散を受けた任期途中の選挙でした。

① 選挙区の票
400議席
自分の選挙区の候補者に投じる。1区1人、最多得票で当選。
② 政党の票
100議席
全国どこでも同じ政党名簿に投じる。得票率に応じて配分(ヘア=ニーマイヤー方式、阻止条項なし)。

選挙制度は、政治の道具として変えられてきた

憲法/年定数方式ねらいと結果
1997年憲法500小選挙区400+全国比例100(1人2票)大政党に有利。タイ・ラック・タイ党の一党優位を生んだ
2007年憲法480中選挙区+ブロック比例大政党の力を削ぐ設計
2011年改正500小選挙区375+比例125再び大政党寄りに
2017年憲法500小選挙区350+比例150(1人1票の連用制)選挙区の票が比例にも算入され、小政党が乱立した
2021年改正500小選挙区400+比例100(1人2票)並立制に戻る。2023年・2026年はこの方式

タイの選挙制度は約10年ごとに変わっている。変更の目的は毎回はっきりしていて、「大政党を有利にするか、不利にするか」。

タイ誇り党(BJT): 192議席人民党(PP): 120議席タイ貢献党(PT): 74議席民主党: 21議席その他(16党): 93議席192議席最大項目
タイ誇り党(BJT)192議席
人民党(PP)120議席
タイ貢献党(PT)74議席
民主党21議席
その他(16党)93議席

2026年2月8日の総選挙の下院議席(500)。過半数は251。政権はタイ誇り党とタイ貢献党を軸とする16党連立。

選挙管理委員会(EC)กกต.コーコートー
選挙の管理・候補者の資格審査・違反の摘発を行う独立機関。当選無効(イエローカード・レッドカード)を出す権限が強い。
18歳選挙権สิทธิเลือกตั้งシッティ・ルアクタン
選挙人名簿への登録は自動。投票日に選挙区にいない場合は事前投票(在外投票を含む)が可能。
投票の「義務」หน้าที่ไปเลือกตั้งナーティー・パイ・ルアクタン
タイでは投票が事実上義務化されており、正当な理由なく棄権すると、次の選挙で立候補できないなどの制限を受ける。
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上院――世界的にも珍しい「相互選挙」

2024年5月に移行措置が終わり、上院は現在の方式に移りました。20の職業・属性グループ(行政、法曹、教育、公衆衛生、農業、労働者、女性、高齢者・障害者、メディア、芸術など)ごとに候補者が登録し、郡→県→全国の3段階で、候補者どうしが投票し合って絞り込みます。最終的に各グループ10名、計200名が選ばれます。

この方式の趣旨は「政党政治から独立した多様な代表」でしたが、実際には組織票を動かせる勢力が有利になるという批判が当初からありました。2024年6月の選出後、特別捜査局(DSI)と選挙管理委員会が組織的な動員とマネーロンダリングの疑いで大規模な捜査を行い、多数の上院議員が捜査対象になったと報じられています。上院の正統性そのものが争点になっているのが現状です。

  • 憲法改正には上院の3分の1以上の賛成が必要(第3章)。
  • 憲法裁判所裁判官、NACC委員、選挙管理委員などの人事を承認する。
  • 法案を60日以内(財政法案は30日以内)に審査し、修正・差し戻しができる。
  • 国政調査、大臣への質問ができる。
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法律ができるまで

ここは実務に直結します。あなたの業界の規制がいつ変わるかを予測するには、この流れのどの段階にいるかを見る必要があります。

1
① 発案
内閣(多数)、下院議員20名以上、有権者1万人以上の署名、または独立機関などが提出できる。財政に関わる法案は首相の承認が必要。
2
② 下院・第一読会
原則を審議して採決。可決されると委員会に付託される。
3
③ 委員会審議・第二読会
逐条で修正する段階。業界団体や商工会議所が意見を出せるのは実質的にここ。
4
④ 下院・第三読会
最終採決。可決されると上院へ送られる。
5
⑤ 上院
60日以内(財政法案は30日以内)に審議。上院は否決できず、修正または差し戻しにとどまる。差し戻されても下院は再可決できる。
6
⑥ 憲法裁判所(該当時)
議員などの求めがあれば、成立前に合憲性が審査される。
7
⑦ 国王の裁可
首相が奏上し、国王が裁可する。90日以内に裁可されない場合、国会は3分の2で再可決できる。
8
⑧ 官報に掲載
ราชกิจจานุเบกษา(ラーチャキッチャーヌベークサー)。ここに載って初めて法律になる。施行日は法律ごとに異なる。

法律ができるまで(2017年憲法)

🧰実務メモ|規制を追うなら、法律より「省令・告示」を見る
タイでは、法律(พระราชบัญญัติ プラ・ラーチャバンヤット)は骨格だけを定め、実際の基準は省令(กฎกระทรวง)や省の告示(ประกาศกระทรวง)で決まることが非常に多いのが特徴です。たとえば外国人事業法は業種リストを定めますが、個別の許可基準は商務省の規則で動きます。実務では、① 官報の電子版、② 所管省庁のサイト、③ 加入している商工会議所・業界団体の通知、の3つを定点観測してください。官報に載ってから施行までの猶予が短いことがあるため、「国会を通った」段階で気づくのでは遅い場合があります。
法律พระราชบัญญัติ (พ.ร.บ.)プラ・ラーチャバンヤット
国会で成立させる。もっとも上位の法形式。
緊急勅令พระราชกำหนด (พ.ร.ก.)プラ・ラーチャカムニット
緊急時に内閣が制定し、あとで国会の承認を得る。コロナ禍の借入措置などがこれ。
王令พระราชกฤษฎีกาプラ・ラーチャクリサディーカー
法律の委任に基づく政令。解散や税の減免などで使われる。
省令กฎกระทรวงゴットクラスワング
大臣が定める。実務の細目はここ。
告示ประกาศプラカート
もっとも頻繁に出る。BOIの恩典条件などはこの形式。
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国会は内閣をどこまで縛れるか

憲法上、国会には内閣を統制する手段が並んでいます。ただし実際の効き方は、連立の組み方に大きく依存します。

首相の指名
下院の過半数(251)で指名。2024年5月以降、上院は参加しない。
不信任決議
下院議員5分の1以上で発議、過半数で可決。年1回まで。
一般質問
議員は大臣に口頭・書面で質問できる。毎週の質問時間がある。
常任委員会
35の委員会。省庁の担当者を呼んで説明させる権限がある。
予算審議
予算法案は下院から。105日以内に議決しないと自動的に成立。
弾劾・資格審査
議員資格の喪失はNACCと憲法裁判所が判断する(第6章)。

予算審議――105日ルール

実務上いちばん重要なのが年度予算法案です。タイの会計年度は10月1日〜9月30日。予算法案は下院に提出され、105日以内に議決されなければ提出された内容のまま成立するというルールがあります。これは審議の引き延ばしを防ぐ仕組みですが、同時に「議会が予算を実質的に修正しにくい」構造でもあります(第14章)。

不信任決議

下院議員の5分の1以上(100名)で発議し、過半数で可決されれば内閣は総辞職します。実際に不信任決議で内閣が倒れた例は多くありませんが、審議の過程で暴露される情報が政局を動かすため、毎年の「不信任討論(อภิปรายไม่ไว้วางใจ)」はタイ政治の年中行事として注目されます。

📖コラム|首相を辞めさせているのは、国会ではない
近年のタイで首相が職を失った経路は、不信任決議ではなく憲法裁判所の判断でした。2008年のサマック首相(テレビ料理番組への出演が兼職にあたると判断)、2014年のインラック首相(人事異動の違法性)、2024年のセーター首相(閣僚任命の適格性)、2025年のペートンターン首相(通話記録をめぐる倫理違反)。国会ではなく司法が首相の生殺与奪を握っている――この構図は第6章で詳しく扱います。
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議員という職業

下院議員の被選挙権は25歳以上のタイ国籍者で、選挙の90日前までに政党に所属している必要があります(解散による選挙では30日)。この「党籍ルール」があるため、解散が近いと議員の大量移籍(ย้ายพรรค)が短期間に集中して起こります。選挙前にニュースで「〇〇氏が△△党に移籍」が続くのは、この締切のためです。

議員は国会の会期中、原則として逮捕されません(不逮捕特権)。また院内の発言には免責がありますが、院外での発言には免責が及びません。議員が刑法112条や名誉毀損で訴追されるのは、多くがこのケースです。

📍現場で見る|国会を見に行く
サッパーヤーサパーサターンは、バンコクのケーサラー通り(地下鉄MRTブルーライン「バーンポー」駅すぐ)にあります。屋上の黄金の尖塔はチャオプラヤー川から見えます。本会議の傍聴は事前申請が必要ですが、議事はタイ国会のYouTubeチャンネルで生中継されており、誰でも見られます。タイ語の勉強と実務の両方に効く教材です。

まとめ

  • 国会は下院500(小選挙区400+比例100、1人2票)と上院200(職業グループの相互選挙)。
  • 選挙制度は約10年ごとに変わり、変更の目的はつねに「大政党を有利にするか否か」だった。
  • 上院は法案を否決できないが、憲法改正と独立機関の人事承認で強い権限をもつ。
  • 法律は官報掲載で効力を生じる。実務で効くのは法律より省令・告示。
  • 首相を辞めさせてきたのは不信任決議ではなく、憲法裁判所の判断だった。
章末

章末チェック(5問)

1. 下院の定数と選出方法として正しいものは。

  • 480議席。中選挙区+ブロック比例
  • 500議席。小選挙区400+比例代表100の並立制(1人2票) ← 正解
  • 500議席。すべて小選挙区
  • 400議席。小選挙区のみ

2021年の改正で並立制に戻り、2023年・2026年はこの方式です。

2. 上院200名の選出方法は。

  • 国民の直接選挙
  • 20の職業グループごとに登録し、郡・県・全国の3段階で相互に投票 ← 正解
  • 首相の任命
  • 各県知事の推薦

各グループ10名、計200名。政党に所属することは禁止されています。

3. 法律が効力をもつのはどの時点か。

  • 下院の第三読会で可決されたとき
  • 上院が承認したとき
  • 国王が裁可したとき
  • 官報(ラーチャキッチャーヌベークサー)に掲載されたとき ← 正解

官報掲載で初めて法律になります。施行日は法律ごとに異なります。

4. 予算法案の「105日ルール」とは何か。

  • 下院が105日以内に議決しないと、提出された内容のまま成立する ← 正解
  • 105日以内に執行しなければならない
  • 予算案は105日前に提出しなければならない
  • 上院が105日間審議できる

審議の引き延ばしを防ぐ仕組みですが、議会が予算を修正しにくい構造でもあります。

5. 被選挙権をもつには、選挙の何日前までに政党に所属している必要があるか。

  • 30日前(解散による選挙も同じ)
  • 90日前(解散による選挙の場合は30日前) ← 正解
  • 180日前
  • 党籍の要件はない

この締切があるため、解散が近いと議員の大量移籍が集中して起こります。