第19章 約40分 8節
会社を回す ――実践編② 労務・税務・契約・コンプライアンス
会社をつくるのは1回ですが、回すのは毎日です。そして日系企業がタイでもっとも多くトラブルを起こすのは、労務と税務です。どちらも「日本の常識」がそのまま通用しない領域で、しかも間違えると金額が大きくなります。この章では、雇う・辞めさせる・払う・契約する・守る、という5つの動詞で実務を整理します。
この章の要点
1 解雇には勤続年数に応じた解雇補償金(最大400日分)が必要。補償金なしで解雇できるのは労働者保護法119条の6事由だけ。
2 タイの税務は毎月が基本。タックス・インボイスの記載要件と源泉徴収証明書の管理が、実務の中心。
3 PDPA、取引競争法、贈収賄防止、労働人権、環境の5領域がコンプライアンスの柱。取引条件になりつつある。
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人を雇う タイの労働法制は、労働者保護法(1998年)を中心に、労働関係法、社会保障法、労働者災害補償法などで構成されます。全体として労働者保護に厚いのが特徴です。
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① 雇用契約書(タイ語)
期間の定めの有無、職務、賃金、勤務地、労働時間を明記する。英語版だけでは労働裁判所で不利になることがある。
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② 試用期間の設計
法律上の定義はないが、勤続120日を超えると解雇補償金が発生する。そのため実務では119日以内に評価を終える設計が一般的。
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③ 就業規則の作成
従業員10人以上で作成義務。タイ語で、作成から15日以内に事業所内で公開する。
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④ 社会保険への加入
雇用から30日以内に届け出る。外国人従業員も対象。
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⑤ 賃金台帳・出勤簿の整備
労働監督官の調査でまず見られる書類。残業時間の記録は必ず残す。
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⑥ 安全衛生
従業員数に応じて安全担当者(จป.)の選任義務がある。
人を雇うときの6ステップ
労働者保護法 พ.ร.บ.คุ้มครองแรงงาน
労働時間・休暇・賃金・解雇の基本法。
就業規則 ข้อบังคับเกี่ยวกับการทำงาน
従業員10人以上で作成義務。懲戒処分をするには、規則に根拠が書かれている必要がある。
試用期間 ทดลองงาน
法律上の定めはないが、120日を超えると解雇補償金の対象になる。そのため119日以内で判断するのが実務の定石。
有期契約 สัญญาจ้างมีกำหนดระยะเวลา
期間満了で終了させられるが、恒常的な業務に繰り返し使うと無期とみなされるリスクがある。
🧰 実務メモ|就業規則は「コピペ」しない
テンプレートをそのまま使っている日系企業は多いのですが、懲戒処分をするときに「規則に書いていない」ことが判明して手が出せなくなるケースが頻発します。とくに①遅刻・欠勤の扱い、②ハラスメント、③会社資産・情報の持ち出し、④副業、⑤SNSでの発信、については具体的に書き込んでください。そしてタイ語版が正本であることを確認してください。
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人を辞めさせる――ここが最大の落とし穴 日本でも解雇は難しいですが、タイでは「解雇しても補償金を払えばよい」という制度が明確にあります。つまり解雇そのものは可能だが、金額が確定的にかかるのです。
解雇補償金(ค่าชดเชย)――勤続年数別。これに加えて、予告期間を置かない場合は予告手当が必要。さらに不当解雇と認定されれば損害賠償が加わる。
懲戒解雇(補償金なし)
労働者保護法119条の6事由に限られる。証拠と手続きが厳格に問われる。
普通解雇(補償金あり)
業績不振・組織再編など。補償金+予告手当が必要。不当解雇として争われることがある。
合意退職
実務でもっとも多い。退職合意書に清算条項を入れる。追加の支給金を上乗せするのが通例。
期間満了
有期契約の満了。ただし更新をくり返すと実質無期とみなされ、補償金が必要になることがある。
職務上の不正・故意の犯罪――使用者に対する不正行為や故意の犯罪行為 故意に損害を与えた――会社に対する故意の加害 重大な過失による損害――重過失で使用者に重大な損害を与えた 規則違反の再発――書面警告から1年以内の再違反(重大なら警告不要) 無断欠勤3日――正当な理由なく連続3日以上の欠勤 確定判決で禁錮刑――過失犯・軽微な違反を除く ⚠️ まちがえやすい|「能力不足」は懲戒解雇の理由にならない
日本以上に、タイでは能力不足や成績不振を理由とする「補償金なしの解雇」は認められません。業績不振や配置転換の失敗は、あくまで普通解雇であり、補償金と予告手当が必要です。「規則違反があったことにする」という処理は、労働裁判所で覆されるだけでなく、会社の信用を大きく損ないます。実務では合意退職(上乗せ金を払って合意書を交わす)がもっとも安全で、結果的に安上がりです。
🧰 実務メモ|退職合意書に入れるべき条項
① 清算条項――「本件に関し、当事者間に他の債権債務がないことを相互に確認する」。これがないと、退職後に残業代を請求されることがあります。② 秘密保持と貸与物の返還。③ 競業避止――ただしタイでは期間・地域・職種が合理的な範囲でないと無効とされます。④ 支給内訳――解雇補償金、予告手当、未消化有給、上乗せ金を分けて記載する(税務上の扱いが違います)。
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労働組合と労使関係 労働関係法(1975年)により、民間企業の従業員10人以上で労働組合を結成できます。組織率は全国では低い(数%)のですが、大規模な製造業では組合が存在するのが普通です。
労使交渉の流れは、①要求書の提出 → ②3日以内に交渉開始 → ③合意すれば労働協約として登録、④不調なら労働争議調停官が介入、⑤それでも不調なら労働争議仲裁委員会またはストライキ/ロックアウト、という手順です。
⚠️ まちがえやすい|組合員の解雇には裁判所の許可が必要な場合がある
労働協約に関わる交渉の当事者や組合の役員については、労働裁判所の許可なしに解雇できない保護があります。組合活動を理由とする不利益取扱いは不当労働行為として刑事罰の対象にもなります。労使交渉の局面での人事は、必ず弁護士と進めてください。
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毎月と毎年の税務 記帳と監査
すべての法人に会計帳簿の作成と年次監査の義務。監査済み財務諸表をDBDと歳入局に提出。
タックス・インボイス
記載要件を1つでも欠くと仕入税額控除が否認される。電子インボイス(e-Tax Invoice)が拡大中。
源泉徴収の管理
支払いごとに税率が違う。証明書の発行と保管が必須(第14章)。
移転価格
売上2億バーツ以上の法人は開示フォームの提出義務。関連者取引の価格根拠を文書化する。
税務調査
VAT還付の申請、赤字の継続、関連者取引の多さが端緒になりやすい。
罰則
申告漏れは本税に加えて加算税と延滞税。偽インボイスは刑事罰の対象。
タックス・インボイスの記載要件(1つでも欠けると仕入税額控除が否認される)
✓ 「ใบกำกับภาษี(タックス・インボイス)」の表示
✓ 発行者の名称・住所・納税者番号(13桁)
✓ 購入者の名称・住所・納税者番号
✓ 通し番号(および冊番号)
✓ 商品・サービスの内容、数量、価格
✓ VAT額を明確に区分して表示
✓ 発行年月日
🧰 実務メモ|経理で必ず作るべき3つの仕組み
① インボイスの受入チェック――受け取った時点で要件を確認する。あとから直してもらうのは非常に大変です。② 源泉徴収証明書の月次ファイリング――発行分と受領分を分けて保管。③ 関連者取引の一覧――親会社への支払い(ロイヤルティ、経営指導料、部品購入)は移転価格調査の焦点です。価格の根拠を示す文書(ベンチマーク分析)を毎年更新しておくと、調査のときの負担がまったく違います。
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契約の実務 言語と優先
タイ語版と英語版を作り、どちらが優先するかを明記する。
印紙税
契約書の種類ごとに税額が決まる。貼付を怠ると証拠として使えないことがある。
署名権限
相手の登記簿(หนังสือรับรอง)で署名権限者と社印を確認する。
担保
個人保証、銀行保証、手形、抵当。売掛の回収力に直結する。
準拠法・紛争解決
タイ法/タイの裁判所か、第三国仲裁か(第6章)。
解除と損害賠償
解除事由と損害の範囲を具体的に書く。タイの裁判所は実損害を重視する。
加えて、時効にも注意してください。商品の売買代金は2年、一般の債権は10年というのが原則で、日本より短い類型があります。売掛金を放置していると、法的に請求できなくなることがあります。
印紙税 อากรแสตมป์ アーコン・サテーム
賃貸借契約、雇用契約、借用証、委任状などに必要。貼付・消印を欠くと、裁判で証拠として採用されないことがある。近年は電子的な納付も可能。
会社の登記簿 หนังสือรับรองบริษัท ナンスー・ラップローング
署名権限者と社印の要否が記載されている。契約前に相手方の最新版(3か月以内)を必ず取得する。
社印 ตราประทับ トラー・プラタップ
登記された社印。署名権限の条件に「社印とともに」とある場合、社印がないと契約が無効となりうる。
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許認可の維持 設立時に取った許可は、維持と更新が必要です。更新を忘れて操業できなくなる事故は、実際に起きています。
更新・維持が必要な許認可
✓ 工場ライセンス(ร.ง.4)――機械の増設・変更時は届出・許可が必要
✓ 工業団地の入居許可(IEAT)――事業内容の変更は事前承認
✓ FDA登録(食品・化粧品・医薬品・医療機器)――品目ごと、更新期限あり
✓ TIS(工業規格)強制認証――対象品目は輸入・販売に必須
✓ 酒類・タバコの販売免許――年次更新
✓ BOI恩典――年次報告、恩典対象事業の範囲の管理
✓ 外国人事業許可(FBL)――事業内容の変更は要注意
✓ ビザ・労働許可――更新期限の管理(複数名いる場合は一覧表で)
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コンプライアンス PDPA(個人情報保護法)
2022年全面施行。同意取得、目的の明示、越境移転、DPOの設置。罰則は最大500万バーツ。
取引競争法
市場支配的地位の濫用、不公正な取引条件、一定規模のM&Aの届出義務。
贈収賄防止
汚職防止法。法人にも責任。「適切な内部統制措置」の有無が問われる(第20章)。
労働・人権
サプライチェーンの労働環境。水産・食品・アパレルでは取引条件になっている。
環境(EIA・排出)
工場の立地・拡張には環境影響評価が必要な場合がある。
個人データ保護法(PDPA、2022年6月全面施行)は、EUのGDPRを参考にした法律です。同意の取得、利用目的の明示、越境移転の制限、データ侵害時の72時間以内の通知などが求められます。行政罰は最大500万バーツ、加えて刑事罰と民事賠償があります。
PDPA最低限のチェックリスト
✓ プライバシーポリシーをタイ語と英語で用意した
✓ 従業員・顧客からの同意取得の記録を残している
✓ データ処理記録(ROP)を作成している
✓ 越境移転(本社へのデータ送信)の根拠を整理した
✓ データ保護責任者(DPO)の要否を判断した
✓ 委託先(クラウド、人材会社)との契約にPDPA条項を入れた
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トラブルが起きたら 1
① 事実の確定と証拠の保全
メール、LINE、納品書、検収書。タイではLINEのやりとりも証拠として扱われる
2
② 内容証明的な通知
弁護士名の督促状(หนังสือทวงถาม)を送る。この段階で解決することが多い
3
③ 交渉・調停
商工会議所の調停や、裁判所の調停手続きを使う
4
④ 訴訟または仲裁
民事訴訟は3審制で時間がかかる。労働事件は労働裁判所で比較的早い
5
⑤ 執行
判決を得ても回収できるとは限らない。相手の資産の把握が実務上いちばん重要
トラブルが起きたときの5段階
🧰 実務メモ|債権回収は「資産の把握」がすべて
タイでは判決を得ても、相手に資産がなければ回収できません。取引開始時に、① 登記簿(資本金・株主・取締役)、② 財務諸表(DBDで誰でも取得できる)、③ 不動産の有無、を確認しておくと、いざというときの回収可能性が大きく変わります。タイの企業の財務諸表は、DBDのオンラインサービスで少額の手数料で取得できます。与信管理の基本として、年1回は取引先の財務諸表を取るべきです。
まとめ 解雇には勤続年数に応じた補償金(最大400日分)と予告手当が必要。補償金なしの解雇は労働者保護法119条の6事由に限られる。 能力不足は懲戒解雇の理由にならない。実務では合意退職が最も安全。 タックス・インボイスの記載要件を1つでも欠くと仕入税額控除が否認される。 売買代金の時効は2年。売掛金の放置は法的リスク。 PDPAは行政罰最大500万バーツ。同意・目的・越境移転の管理が必須。 章末
章末チェック(5問) 1. 勤続10年の従業員を解雇する場合、解雇補償金は何日分か。
180日分 240日分 300日分 ← 正解 400日分 10年〜20年未満で300日分。20年以上なら400日分です。
2. 補償金なしで解雇できる事由に含まれないものは。
正当な理由のない連続3日以上の欠勤 重大な過失による損害 能力不足・成績不振 ← 正解 書面警告後1年以内の規則違反の再発 能力不足は普通解雇であり、補償金と予告手当が必要です。
3. 就業規則の作成義務が生じるのは従業員が何人以上のときか。
タイ語で作成し、作成から15日以内に事業所内で公開します。
4. タックス・インボイスに必要な記載事項に含まれないものは。
発行者と購入者の納税者番号 通し番号 VAT額を区分して表示 取引先の銀行口座番号 ← 正解 ほかに「タックス・インボイス」の表示、商品内容、発行年月日が必要です。
5. 商品売買代金の時効は何年か。
一般の債権は10年ですが、売買代金は2年と短いので、売掛金の放置は法的リスクです。
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