タイ政治経済ラボ / 第12章 産業構造――何をつくり、どこで稼いでいるか
第12章約35分6節

産業構造――何をつくり、どこで稼いでいるか

――農業・製造業・サービス業とEEC

タイは「世界の台所」であり「東洋のデトロイト」であり「アジアの観光大国」でもあります。この3つの顔は、それぞれ別の地域、別の人びと、別の政治的支持基盤に対応しています。

この章の要点
1

農業はGDPの8.4%しか生まないのに、就業者の約3割を抱える。この「ねじれ」がタイ経済の最大の構造問題。

2

製造業の中核は自動車と電子部品。自動車生産は年150万台前後で、ASEAN最大・世界10位前後。

3

EEC(チョンブリー・ラヨーン・チャチューンサオ)は、高付加価値産業を誘致するための特別区。恩典と規制緩和が集中している。

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三部門のねじれ

タイ経済で最も重要な事実は、部門ごとのGDPシェアと就業者シェアが大きくずれていることです。

GDPに占める割合就業者に占める割合
020406080農林水産業: 8.4%鉱工業(製造業25%): 33%サービス業: 58%農林水産業: 30%鉱工業(製造業25%): 23%サービス業: 47%農林水産業鉱工業(製造業25%)サービス業

就業者の3割が、付加価値の1割弱しか生まない部門にいる。これが平均所得を押し下げ、地域格差を生む最大の要因(第17章)。

この数字が意味するのは、農業に従事する人の1人あたり生産性が、製造業の10分の1以下だということです。そして農業就業者の多くは東北部と北部にいます。経済の問題が、そのまま地域の問題であり、政治の対立軸になる理由がここにあります。

製造業ベルト農業・出稼ぎ農業・観光ゴム・観光
製造業ベルト(首都圏〜東部EEC)
自動車・電子・石油化学。GDPの7割が中部+首都圏に集中。
東北部(イサーン)
コメ・キャッサバ・砂糖。出稼ぎ送金が地域経済を支える。
北部
果樹・コメ、チエンマイの観光。中国と接する物流。
南部
ゴム・パーム油、プーケット・サムイの観光。

産業の地図。製造業は首都圏から東部(EEC)にかけての帯に集中し、農業は東北部と北部、観光は南部と北部という色分けになる。

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農業――GDPは小さいが、政治は最大

タイは世界有数の農産物輸出国です。GDPシェアこそ8.4%ですが、食品加工業まで含めれば経済的な存在感ははるかに大きくなります。

コメ
輸出量は世界2〜3位。年800万〜1,000万トン。香り米(ホームマリ)が高値帯。
天然ゴム
生産・輸出とも世界1位。南部が主産地。価格変動が大きい。
キャッサバ
輸出は世界1位。中国向けのでんぷん・アルコール用。
砂糖(サトウキビ)
輸出は世界2位級。イサーンと中部が主産地。
果物
ドリアン・ロンガンの対中輸出が急拡大。単価が高い成長分野。
水産・畜産
エビ、ツナ缶、鶏肉。加工食品の輸出は世界有数。

農家の現実

  • 平均耕地面積が小さい。1戸あたり数ライ〜20ライ(1ライ=1,600m²)程度。
  • 高齢化。農業就業者の平均年齢は60歳に近づいている。
  • 負債。農家の多くが農業協同組合やBAAC(農業協同組合銀行)に債務を抱える。
  • 価格変動。ゴムとコメの国際価格に生活が直撃される。
  • 気候リスク。エルニーニョ・ラニーニャによる干ばつと洪水。
📖コラム|コメ担保融資制度(ライス・プレッジング)の教訓
インラック政権(2011〜14年)は、市場価格の5割増しでコメを買い取る制度を実施しました。農家の所得は一時的に上がりましたが、①在庫が積み上がって輸出競争力を失い、②財政負担が数千億バーツに膨らみ、③在庫の管理と売却をめぐる汚職が発生しました。インラック元首相はこの件で職務怠慢を問われ、2017年に禁錮5年の判決を受けています(本人は国外)。農業支援は必要だが、価格に直接介入すると副作用が大きい――この教訓から、その後の政権は「所得補填」型に軸足を移しています。
🧰実務メモ|農産物ビジネスの注意点
① 輸出入の規制が多い。コメ、砂糖、パーム油などは輸出許可や割当の対象になることがあります。② 中国向けが決定的。ドリアンなど果物の対中輸出は、中国側の検疫協定と通関の運用に大きく左右されます。③ 契約栽培(コントラクトファーミング)には法規制があり、2017年の契約農業促進法で契約書の要件が定められています。④ 土地は買えない(第18章)。農地の取得はさらに制限が厳しく、実務上は賃借か、タイ法人を通じた保有になります。
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製造業――自動車と電子部品の国

タイの製造業はGDPの約25%を占め、輸出の主役です。その中核が自動車と電機・電子です。タイはASEAN最大の自動車生産国で、世界でも10位前後。生産の約7割は日系メーカーで、1トン・ピックアップトラックが最大の輸出品目という独特の構造をもちます。

生産台数うち輸出
01002003002010: 164万台2012: 245万台2014: 188万台2016: 194万台2018: 217万台2020: 143万台2022: 188万台2023: 184万台2024: 147万台2025: 150万台2010: 90万台2012: 102万台2014: 113万台2016: 118万台2018: 114万台2020: 74万台2022: 100万台2023: 105万台2024: 104万台2025: 105万台201020142018202220242025万台

自動車生産。2024年は国内販売の急減で147万台まで落ちた。原因は家計債務の重さと、銀行の自動車ローン審査の厳格化(第15章)。

いま最大の論点はEV(電気自動車)への転換です。政府はEV3.0/3.5と呼ばれる補助金・減税パッケージで中国メーカー(BYD、長城汽車、上汽MGなど)の現地生産を誘致しました。その結果、ラヨーンを中心に中国系のEV工場が相次いで稼働しています。

⚠️まちがえやすい|EV転換は、日系サプライチェーンの再編を意味する
エンジン車の部品点数は約3万点、EVは約2万点で、エンジン・変速機・排気系の部品は不要になります。タイの自動車部品メーカーの多くは日系のエンジン車向けであり、転換に対応できない中小サプライヤーが淘汰されるリスクがあります。一方で、電池・モーター・パワー半導体・熱管理では新しい需要が生まれます。この10年で、タイの製造業の顔ぶれは大きく変わる可能性が高いと考えてください。

電機・電子――HDDから、半導体後工程とデータセンターへ

タイは長年、ハードディスク(HDD)の世界最大級の生産国でした。しかしHDD需要はSSDに置き換わりつつあり、産業の軸はプリント基板(PCB)、半導体の後工程、電子部品に移っています。近年は中国からの生産移管(チャイナ・プラスワン)でPCBメーカーの投資が急増しました。さらに2024年以降、データセンターとクラウド投資が新しい柱として浮上しています。グーグル、マイクロソフト、アマゾンなどがタイへの投資を発表し、国内の電力とネットワーク需要が構造的に増えています。

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EEC――国家プロジェクトとしての東部

EEC(東部経済回廊、อีอีซี)は、チョンブリー・ラヨーン・チャチューンサオの3県を対象とする特別区です。1980年代の東部臨海開発の後継として、2018年のEEC法で法的な枠組みが整いました。

バンコクEEC=東部経済回廊3県・約1.3万km²チャチューンサオチョンブリーラヨーン▸ レムチャバン港(コンテナ)▸ マプタプット(石油化学)▸ ウタパオ空港バンコクから車で1〜2時間の距離

EECの範囲。レムチャバン港(コンテナ)、マプタプット(石油化学)、ウタパオ空港を核とする。バンコクから車で1〜2時間の距離。約1.3万km²。

次世代自動車
EV・部品。中国メーカーの工場が集中。
スマート電子
半導体後工程・PCB・データセンター。
医療・ウェルネス
医療ツーリズムと医療機器。
農業・バイオ
スマート農業、バイオ素材。
食品加工
高付加価値の食品・機能性食品。
ロボット・自動化
産業用ロボット、FA。
航空・物流
MRO(整備)、航空貨物。
デジタル
クラウド、AI、スマートシティ。
防衛・その他
教育・人材開発なども対象。
  • 法人税の免除(最長13年)と、その後の減免。
  • 土地の長期リース(最長50年+更新49年)。
  • 外国人専門家の個人所得税17%の特例。
  • ワンストップの許認可(EEC事務局が窓口をまとめる)。
  • インフラ――高速鉄道(3空港連結)、ウタパオ空港の拡張、レムチャバン港第3期、マプタプット港第3期。
⚠️まちがえやすい|インフラ計画は遅れることを前提に
EECの目玉である3空港連結高速鉄道(ドンムアン〜スワンナプーム〜ウタパオ)は、2019年に契約が結ばれましたが、用地取得、コロナによる需要見通しの変化、条件の再交渉により着工と完成が大幅に遅れています。タイの大型インフラは、公表スケジュールより数年遅れるのが通例です。立地の判断をインフラの完成前提で行わないでください。
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サービス業――GDPの6割

GDPの約58%を占めるのがサービス業です。内訳は卸売・小売、運輸、宿泊・飲食、金融、不動産、公共サービスなど。とくに大きいのが観光と小売です。

2019年には3,980万人の外国人旅行者が訪れ、観光収入は直接・間接あわせてGDPの15〜20%を支えていました。コロナで壊滅したあと回復しましたが、2025年は3,297万人と前年比7.2%減にとどまっています。最大の要因は中国人旅行者の3割超の減少で、治安への不安(詐欺拠点をめぐる事件)とバーツ高が影響しました。

3,297万人
2025年の外国人旅行者数(−7.2%)
約109万人
同年の日本人旅行者(国別6位)
3,670万人
2026年の政府目標
3兆バーツ
2026年の観光収入目標(国内旅行を含む)

小売と財閥

財閥分野主な事業
CPグループ農業・食品・小売・通信CPF(食品)、セブンイレブン、True(通信)。売上はタイ最大級
セントラル小売・不動産・ホテルセントラルワールドなどの商業施設、百貨店、欧州の百貨店も保有
TCC/ThaiBev飲料・不動産・小売チャーン・ビール、One Bangkok、Big C(BJC)
PTT石油・ガス・石化国有企業だが上場。時価総額上位。EVとエネルギー転換に投資
SCGセメント・化学・建材王室財産が大株主。ASEAN全域に展開
Gulf/エネルギー系発電・インフラ・デジタル近年もっとも急拡大した企業群。通信・データセンターにも進出

タイの主要財閥

🧰実務メモ|財閥と付き合う/競合する
日系企業がタイで事業をするとき、財閥は合弁パートナーにも販売チャネルにも競合にもなります。① 小売チャネルを押さえられているため、消費財では条件交渉の力関係が厳しい。② 一方で、合弁を組めば規制業種への参入や許認可の取得がはるかに容易になる(第18章)。③ 財閥系企業のグループ内取引が優先されるため、「グループ外」のサプライヤーは価格以外の差別化が必要になります。
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見えない経済――中小企業とインフォーマル

タイの事業所の99%以上が中小企業(SME)で、雇用の約7割を占めますが、GDPへの寄与は3割台にとどまります。さらに、就業者の約半分がインフォーマル(社会保険に加入せず、雇用契約もない働き方)です。屋台、バイクタクシー、日雇い、家族経営の農業、そして登録されていない移民労働者。この層は景気の変動を最も直接に受け、かつ支援が届きにくい。コロナ禍で最も打撃を受けたのもこの層でした(第16章)。

まとめ

  • 農業はGDPの8.4%、就業者の約3割。この生産性のねじれが最大の構造問題。
  • 製造業の中核は自動車(年150万台前後、ASEAN最大)と電子部品。EV転換で中国メーカーの進出が加速している。
  • EECは3県が対象。法人税最長13年免除、長期リース、外国人専門家の所得税17%などの恩典がある。
  • サービス業がGDPの約58%。観光は2025年に3,297万人(−7.2%)。
  • 小売・食品・通信は財閥の寡占。SMEは事業所の99%だがGDP寄与は3割台。
章末

章末チェック(5問)

1. 農業のGDPシェアと就業者シェアの組み合わせは。

  • GDP 8.4%/就業者 約30% ← 正解
  • GDP 30%/就業者 8.4%
  • GDP 20%/就業者 20%
  • GDP 8.4%/就業者 約10%

就業者の3割が、付加価値の1割弱しか生まない部門にいます。これが最大の構造問題です。

2. タイの自動車生産台数と最大の輸出車種の組み合わせは。

  • 年300万台前後/セダン
  • 年150万台前後/1トン・ピックアップトラック ← 正解
  • 年50万台前後/EV
  • 年150万台前後/大型トラック

ASEAN最大、世界10位前後。生産の約7割は日系メーカーです。

3. EECの対象3県に含まれないものは。

  • チョンブリー
  • ラヨーン
  • チャチューンサオ
  • サムットプラーカーン ← 正解

EECはチョンブリー・ラヨーン・チャチューンサオの3県、約1.3万km²です。

4. 2025年の外国人旅行者数と減少の主因の組み合わせは。

  • 3,297万人/中国人旅行者の3割超の減少 ← 正解
  • 3,980万人/欧州客の減少
  • 2,000万人/コロナ再流行
  • 3,670万人/バーツ安

治安への不安(詐欺拠点をめぐる事件)とバーツ高が影響しました。

5. タイの代表的な財閥の組み合わせとして正しいものは。

  • CPグループ、セントラル、TCC ← 正解
  • トヨタ、ホンダ、いすゞ
  • BYD、長城汽車、上汽MG
  • NESDC、BOT、BOI

ほかにSCG、PTT、Gulfなどがあります。