産業構造――何をつくり、どこで稼いでいるか
タイは「世界の台所」であり「東洋のデトロイト」であり「アジアの観光大国」でもあります。この3つの顔は、それぞれ別の地域、別の人びと、別の政治的支持基盤に対応しています。
農業はGDPの8.4%しか生まないのに、就業者の約3割を抱える。この「ねじれ」がタイ経済の最大の構造問題。
製造業の中核は自動車と電子部品。自動車生産は年150万台前後で、ASEAN最大・世界10位前後。
EEC(チョンブリー・ラヨーン・チャチューンサオ)は、高付加価値産業を誘致するための特別区。恩典と規制緩和が集中している。
三部門のねじれ
タイ経済で最も重要な事実は、部門ごとのGDPシェアと就業者シェアが大きくずれていることです。
就業者の3割が、付加価値の1割弱しか生まない部門にいる。これが平均所得を押し下げ、地域格差を生む最大の要因(第17章)。
この数字が意味するのは、農業に従事する人の1人あたり生産性が、製造業の10分の1以下だということです。そして農業就業者の多くは東北部と北部にいます。経済の問題が、そのまま地域の問題であり、政治の対立軸になる理由がここにあります。
産業の地図。製造業は首都圏から東部(EEC)にかけての帯に集中し、農業は東北部と北部、観光は南部と北部という色分けになる。
農業――GDPは小さいが、政治は最大
タイは世界有数の農産物輸出国です。GDPシェアこそ8.4%ですが、食品加工業まで含めれば経済的な存在感ははるかに大きくなります。
農家の現実
- 平均耕地面積が小さい。1戸あたり数ライ〜20ライ(1ライ=1,600m²)程度。
- 高齢化。農業就業者の平均年齢は60歳に近づいている。
- 負債。農家の多くが農業協同組合やBAAC(農業協同組合銀行)に債務を抱える。
- 価格変動。ゴムとコメの国際価格に生活が直撃される。
- 気候リスク。エルニーニョ・ラニーニャによる干ばつと洪水。
製造業――自動車と電子部品の国
タイの製造業はGDPの約25%を占め、輸出の主役です。その中核が自動車と電機・電子です。タイはASEAN最大の自動車生産国で、世界でも10位前後。生産の約7割は日系メーカーで、1トン・ピックアップトラックが最大の輸出品目という独特の構造をもちます。
自動車生産。2024年は国内販売の急減で147万台まで落ちた。原因は家計債務の重さと、銀行の自動車ローン審査の厳格化(第15章)。
いま最大の論点はEV(電気自動車)への転換です。政府はEV3.0/3.5と呼ばれる補助金・減税パッケージで中国メーカー(BYD、長城汽車、上汽MGなど)の現地生産を誘致しました。その結果、ラヨーンを中心に中国系のEV工場が相次いで稼働しています。
電機・電子――HDDから、半導体後工程とデータセンターへ
タイは長年、ハードディスク(HDD)の世界最大級の生産国でした。しかしHDD需要はSSDに置き換わりつつあり、産業の軸はプリント基板(PCB)、半導体の後工程、電子部品に移っています。近年は中国からの生産移管(チャイナ・プラスワン)でPCBメーカーの投資が急増しました。さらに2024年以降、データセンターとクラウド投資が新しい柱として浮上しています。グーグル、マイクロソフト、アマゾンなどがタイへの投資を発表し、国内の電力とネットワーク需要が構造的に増えています。
EEC――国家プロジェクトとしての東部
EEC(東部経済回廊、อีอีซี)は、チョンブリー・ラヨーン・チャチューンサオの3県を対象とする特別区です。1980年代の東部臨海開発の後継として、2018年のEEC法で法的な枠組みが整いました。
EECの範囲。レムチャバン港(コンテナ)、マプタプット(石油化学)、ウタパオ空港を核とする。バンコクから車で1〜2時間の距離。約1.3万km²。
- 法人税の免除(最長13年)と、その後の減免。
- 土地の長期リース(最長50年+更新49年)。
- 外国人専門家の個人所得税17%の特例。
- ワンストップの許認可(EEC事務局が窓口をまとめる)。
- インフラ――高速鉄道(3空港連結)、ウタパオ空港の拡張、レムチャバン港第3期、マプタプット港第3期。
サービス業――GDPの6割
GDPの約58%を占めるのがサービス業です。内訳は卸売・小売、運輸、宿泊・飲食、金融、不動産、公共サービスなど。とくに大きいのが観光と小売です。
2019年には3,980万人の外国人旅行者が訪れ、観光収入は直接・間接あわせてGDPの15〜20%を支えていました。コロナで壊滅したあと回復しましたが、2025年は3,297万人と前年比7.2%減にとどまっています。最大の要因は中国人旅行者の3割超の減少で、治安への不安(詐欺拠点をめぐる事件)とバーツ高が影響しました。
小売と財閥
| 財閥 | 分野 | 主な事業 |
|---|---|---|
| CPグループ | 農業・食品・小売・通信 | CPF(食品)、セブンイレブン、True(通信)。売上はタイ最大級 |
| セントラル | 小売・不動産・ホテル | セントラルワールドなどの商業施設、百貨店、欧州の百貨店も保有 |
| TCC/ThaiBev | 飲料・不動産・小売 | チャーン・ビール、One Bangkok、Big C(BJC) |
| PTT | 石油・ガス・石化 | 国有企業だが上場。時価総額上位。EVとエネルギー転換に投資 |
| SCG | セメント・化学・建材 | 王室財産が大株主。ASEAN全域に展開 |
| Gulf/エネルギー系 | 発電・インフラ・デジタル | 近年もっとも急拡大した企業群。通信・データセンターにも進出 |
タイの主要財閥
見えない経済――中小企業とインフォーマル
タイの事業所の99%以上が中小企業(SME)で、雇用の約7割を占めますが、GDPへの寄与は3割台にとどまります。さらに、就業者の約半分がインフォーマル(社会保険に加入せず、雇用契約もない働き方)です。屋台、バイクタクシー、日雇い、家族経営の農業、そして登録されていない移民労働者。この層は景気の変動を最も直接に受け、かつ支援が届きにくい。コロナ禍で最も打撃を受けたのもこの層でした(第16章)。
まとめ
- 農業はGDPの8.4%、就業者の約3割。この生産性のねじれが最大の構造問題。
- 製造業の中核は自動車(年150万台前後、ASEAN最大)と電子部品。EV転換で中国メーカーの進出が加速している。
- EECは3県が対象。法人税最長13年免除、長期リース、外国人専門家の所得税17%などの恩典がある。
- サービス業がGDPの約58%。観光は2025年に3,297万人(−7.2%)。
- 小売・食品・通信は財閥の寡占。SMEは事業所の99%だがGDP寄与は3割台。
章末チェック(5問)
1. 農業のGDPシェアと就業者シェアの組み合わせは。
- GDP 8.4%/就業者 約30% ← 正解
- GDP 30%/就業者 8.4%
- GDP 20%/就業者 20%
- GDP 8.4%/就業者 約10%
就業者の3割が、付加価値の1割弱しか生まない部門にいます。これが最大の構造問題です。
2. タイの自動車生産台数と最大の輸出車種の組み合わせは。
- 年300万台前後/セダン
- 年150万台前後/1トン・ピックアップトラック ← 正解
- 年50万台前後/EV
- 年150万台前後/大型トラック
ASEAN最大、世界10位前後。生産の約7割は日系メーカーです。
3. EECの対象3県に含まれないものは。
- チョンブリー
- ラヨーン
- チャチューンサオ
- サムットプラーカーン ← 正解
EECはチョンブリー・ラヨーン・チャチューンサオの3県、約1.3万km²です。
4. 2025年の外国人旅行者数と減少の主因の組み合わせは。
- 3,297万人/中国人旅行者の3割超の減少 ← 正解
- 3,980万人/欧州客の減少
- 2,000万人/コロナ再流行
- 3,670万人/バーツ安
治安への不安(詐欺拠点をめぐる事件)とバーツ高が影響しました。
5. タイの代表的な財閥の組み合わせとして正しいものは。
- CPグループ、セントラル、TCC ← 正解
- トヨタ、ホンダ、いすゞ
- BYD、長城汽車、上汽MG
- NESDC、BOT、BOI
ほかにSCG、PTT、Gulfなどがあります。